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2017.05.12 Friday

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2017.03.26 Sunday

なぜ下鶴間のラブホテル「ロイヤル」の写真を撮ったのか

【神奈川県大和市下鶴間 上:1979年 下:1999年】

 

私は1979年から1984年まで大和市つきみ野に住んでいた。住んでいたマンションの廊下から見えるお城のような建物は一体何なのだろう?と幼心に感じていた。お城にはロイヤルと書いてある。うん、やっぱりお城だ!

不思議の国のアリスにでてきそうなお城は私のお気に入りで、よくスケッチをしていた。

 

当時私が描いたスケッチは残っていないが、孫に会いに来たsuishiはそのお城の写真を撮っていた。

 

suishiが撮影してから20年後の1999年、私はふと気になり、かつて住んでいたマンションを訪れた。あのころスケッチし続けたお城は健在だった。大人になってみてそのお城はラブホテルであったことを知った。

 

今回、suishiが1979年に撮った写真を見ながら、そういえば、自分も1999年に写真を撮ったことを思い出し、当時のアルバムをめくってみると、同じような角度で写真を撮っていた。

 

1999年当時、私は懐かしい風景を自己の記憶定着のためにシャッターを押した。遡ること更に20年前、suishiは孫のお気に入りの景色をsuishi自身の記憶のために記録していた。その結果、20年のブランクがあるものの、記録者の異なる同じ写真が残った。

 

ここ最近、suishiが膨大な写真を残した意味を考え続けていたが、私自身も同じような動機で写真を撮っていた。

suishiは人に見せない写真をせっせと撮りためていたが、自分も全く同じことをしていたことを再認識した2枚の写真である。

 

 

ロイヤルの今が気になり、グーグルアースで周辺を検索すると、雑木林のほとんどはすっかり宅地になり、よくある「小奇麗な郊外」になっていた。ロイヤルの建物は健在であったが、すでに営業しておらず廃墟化していた。

 

2016.09.22 Thursday

何のために会議中の写真を撮るのか

【渋谷NHK:1975.3.14】

suishiの職場、渋谷にあるNHKの会議室のひとこま。キャプションには「音楽家の呼び方会議」とある。一体何の会議なのだろう?と調べてみた。

 

NHKでは放送番組に登場する外国の音楽家や演奏団体の呼び方を統一して、アナウンスと文字表記の資料とするために『外国音楽家の呼び方』という本を刊行している。初版は1954年であるが、1978年に『新・外国音楽家の呼び方』が出ている。新版には1971年以降に日本国内で発売された外国人音楽家のレコードを中心に、個人演奏家や団体の原綴のアルファベット順、呼び方はカタカナ表記している。

 

写真は1975年であるから、おそらくその本の編集会議であろう。

 

suishiは1940年代より外国音楽資料のエキスパートとしてNHKでは異動することなくその道一筋。1975年3月時点では58歳。定年間近のおそらく会議の中心となるべきポジションにいたはずだ。ところが、会議中ひたすら写真を撮っている。

大量の資料の山の前に、表情も険しい。当時の会議といえばタバコ。それぞれの前に灰皿が用意されている。

 

資料の確認だろうか。どこかに電話をする女性。

 

というか、suishi完全無視。カメラ目線など皆無。みんなsuishiのことハミにしてるの・・??

 

アルバムの最後にこんな写真があった。センターに座っているのがsuishi。やっぱり、会議の中心メンバーだったんだ。ハミにされていたんじゃなかったんだ。さすが管理職!

 

実はsuishi、気配を消して気づかれずに写真をとる職人技を持っていた。私も記憶にあるのだが、首からカメラをぶら下げたsuishiが視覚に入ったことに気づいた頃にはすでにシャッターが下ろされている感じ。動作に一切ムダがない。80歳近くなってもその技術に衰えはなかった。

 

おそらくこの会議も、suishiは管理職としてうまくファシリテートしつつ、瞬間瞬間を記録していたのであろう。

 

ちなみにこの写真、NHKの広報誌など業務で使うものではなく完全なプライベート写真である。

 

suishi58歳、何のためにシャッターを下ろしていたのだろうか。

2015.01.18 Sunday

ニッカウイスキー、ひげのおじさんの向きに注目【マッサンに便乗】


【1970年:中野区雑色住宅内部】
収納スペースの少ない団地の中、タンスの上にステレオを置くというのは最大限の知恵。ステレオの他にも音楽辞典や、時計、温湿度計、ウイスキーのびんなどが所狭しと並んでいる。

左端のウイスキー、「マッサン」流行りのこの時期にちょうどよく、ニッカだ。ニッカといえば「ヒゲのおじさん」。ニッカHPによると「キングオブブレンダーズ」と呼ばれ1965年からラベルに使われているらしい。
参考 http://www.nikka.com/products/blended/blackclear/kob.html

なるほど、でも何かこの写真、しっくりこないんだよな・・・。あ、「キングオブブレンダーズ」の向き!

今のニッカウイスキー、「キングオブブレンダーズ」は左向きだけど、この写真では右向きだ。
ついでにいうと、今は「キングオブブレンダーズ」といえばブラックニッカのラベルの代名詞だが、これWHITE NIKKAって書いてある。


ネットで色々と調べてみたが、いつ頃「キングオブブレンダー」の向きが変わったのかはよくわからなかった。

こちらのブログ http://kitatabi-blog.at.webry.info/200902/article_1.html(「北海道な日々でした」より)
には1969年のニッカウイスキーのネオンの写真が載っているが、左向き。ということは右向き左向き併用の頃もあったのかな?それともブランドで分類とか・・・。ホワイトが右向きでブラックが左向き?
まだ謎です。ニッカウイスキーの方、この記事を読んでいたらぜひご連絡ください!

suishiの残した写真、こんな楽しみ方までできるとは。そのようなわけで今年もよろしくお願いいたします。

 
2014.12.31 Wednesday

ヤマハ工場でウナギを食す記録写真


【1971年5月 国鉄浜松駅】
浜松に出張に来たsuishi。1948年に完成したという駅舎が古めかしい。こだましか停車しないといはいえ、一応新幹線停車駅なのに・・・。


出張の目的は日本楽器製造(ヤマハ)のピアノ工場見学だ。

【1971年5月 日本楽器製造(ヤマハ)工場内】
パートのおばちゃん(?)たちがラインを流れるグランドピアノを組み立てている。

しかし、今回の写真のメインは旧浜松駅舎でもヤマハのピアノ工場の様子でもない。


【1971年5月 日本楽器製造会議室】
工場見学のあと、会議室で昼食をとるsuishi一行。メニューはもちろんウナギ弁当だ。

ひたすらウナギ弁当を食する写真が何枚もある。
一見すると何の意味もない写真たちであるが、実はこれこそがsuishi写真の真骨頂。ひたすら同僚の食事風景を撮影する。しかも誰一人カメラを意識していない写真の数々。suishiにとって写真とは芸術表現のツールでも報道目的でもない。ただひたすらsuishiの生きた1日1日を記録するだけのものである。
2012.10.27 Saturday

これが本物のポップ体だ!!


【1977年12月30日:神奈川県逗子市キングストア】
年の瀬、正月の準備でスーパーは多くのお客さんで賑わっている。

パソコンで文書を作るとき、やたらとポップ体を使う人を見かける。確かにポップ体は口当たり良いフォントだ。つい手を出したくなる。
でもTPOをわきまえて使わないと極めて危険な香りが漂う。

ついポップ体に走ってしまう感性は、前川ヤスタカ氏が提唱する「ふぁんしー」のひとつだ。

さて、この写真、そんな「ふぁんしー」という概念が登場する以前の、スーパーの店員さんが手で書いた、「本物のポップ体」だ。

ポップに使われてこそのポップ体。媚びない、実用本位のポップ体。もうこれは職人技だ。

右の「はんぺん」の文字など見事!

今、あえてポップ体を手書きしたポップを見てみたい。

2012.06.23 Saturday

なんかペラペラだなぁ・・・


【1971年:長柄郡葉山町】
1971年、suishiは東京都中野区の雑色住宅を出て、神奈川県長柄郡葉山町に戸建を購入した。

ダイワハウスで建てたプレハブ住宅。上の写真は上棟当日、下の写真が完成時。当時のプレハブ
住宅、なんかペラペラだなぁ。コントのセットみたい。吹けばバラバラになりそう。

上棟当日の内部の写真。ブロック積んだ大雑把な基礎。これが当時の標準なんだろう。
断熱材とかそういったものも入れてない。それでも家族の夢がつまったマイホームの完成
にポーズをとるsuishiの妻の表情も自然と柔らかくなる。

というか、「今の目」で見るからいけないんだろうな。うん。幸せな1枚である。

2012.04.09 Monday

1970年:おつりが出る券売機のハイテク感


【1970年:国鉄盛岡駅】
suishi、盛岡出張の際の1枚。万博記念回数券と新幹線の万国旗がいい味出している。
東北新幹線の無い当時の盛岡からしてみればどちらも遠い存在だけど・・・。

さて、注目したいのは券売機。改札前の柱周りにドンと置かれている。切符は1種類しか買えない。
当時は金額ごとに券売機が必要だったようだ。

40円区間の利用が多かったのだろうか、40円の券売機が2台ある。この2台の真ん中上を見て
欲しい。


右の「おつりもでます」。左のはおつりでないのに。
券売機からおつりがでるのがハイテクだったんだ。硬貨投入口下の赤いランプがハイテクの証し。

でもこどものきっぷは買えない。「券売機ってのは子どものおもちゃじゃないんだよ!」

「ボクもがんばって勉強して将来、券売機からおつりを取るような大人になってやる!」

高度成長期には未来があった。


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2012.04.09 Monday

1971年:I氏の家


【1971年:神奈川県長柄郡葉山町】
前回のエントリー、I氏改築アップ後、こんな写真が発見された。I氏 の古い家が建てられた
直後の写真だ。
20年かけて他人の家を記録していたsuishi。もう笑うしかない。

この写真が撮られた20年後を再掲。
2012.03.27 Tuesday

1970年:時刻テロップ位置

 
【1970年:NHK社内テレビ】
テレビの画面を撮った写真。なんという違和感。

そう。時刻テロップの位置。画面左下なのですよ。今、時刻テロップといえば左上が定番。それが左下。

ググってみると、局や地方によって差があるが、1970年代末頃まで、時刻テロップは左下に置くのが常識だったようだ。

撮影したsuishiはそんなことで40年後ネタになるとは思いもよらなかっただろう。
2012.03.21 Wednesday

1970年:駅弁売りがいた頃

【1970年:国鉄水戸駅ホーム】
写真中央は54歳のsuishi。出張で水戸に行った際のスナップ。

全国各地に出張に行っていたが、この写真のように必ず同行者に自分の写真を撮らせている。

この写真のみどころは右中央の駅弁売りだろう。

ホームの電車は急行ときわ。上野と平(現いわき)を結んだ急行電車。コンビニなどほとんどなかった当時、旅の食事は自宅から持参するか、駅弁売りから買うのが主だった。(一部急行や特急には食堂車も連結されていたが、庶民には高嶺の花であったようだ。)

駅弁売りは弁当やお茶の入った箱を抱えホームを歩き、乗客は窓を開けて車内から買っていた。

このスタイルから、あの体位は「エキベン」と呼ばれている。

おじいちゃん、下ネタですいません。



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