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2017.02.27 Monday

岡山駅前今昔比較2

【上:1994年 下:2016年 岡山駅地下改札】

前回に引き続き、岡山駅地下の今昔比較。

 

新幹線乗り場のある表玄関としての東口と、奉還町方面など下町風情を残した西口とを繋ぐ東西連絡通路。西口側には大規模な地下自転車置き場があることから、岡山駅までJRを利用し、駅からは自転車で通学という高校生・大学生の通りも多い。

 

連絡通路自体は20年でほとんど変化がないのであるが、東口側は大分様相が変わった。

 

1994年当時は公衆電話やコインロッカーが並ぶ閑散とした通路であったが、ここ10年くらいでカフェやエステ、ドラッグストアーなどが次々と開店した。昨年末の撮影では写真左側は改装中であった。

 

この20年で、いかにも90年代なストーン風壁のデザインはシンプルなベージュに変化したが、床の模様だけは昔と変わらず。そう考えると、床材の耐用年数って意外と長いんだなぁと改めて気づく。

 

※当ブログ、2017年3月で解説5周年を迎えます。最近ではTwitterで「1日1枚suishi写真」として毎日写真をアップしています。そちらもぜひご参照ください。  アカウント名 suishi @suishi1916

 

 

2017.01.29 Sunday

岡山駅前今昔比較1

suishiは晩年岡山に住んでいた。70歳代後半になると撮る写真の枚数も減ってきたが、撮る視点は昔と何も変わっていない。

 

前回の投稿で紹介した1994年のJR岡山駅地下改札の様子を大きな写真でもう一度。

90年代の写真なんてまだ最近じゃん!と、suishi晩年の写真にあまり注目していなかったが、考えてみれば1994年といえばもう23年も前の話になる。

 

あらためて当時の写真を見ながら、現在の様子を比較してみた。

 

【上:1994年 下:2016年 岡山駅地下改札】

1994年当時、単色であるがLEDの発車標が使われている。一番の違いは有人改札が自動改札になったこと。岡山駅の在来線改札口の自動改札化は2007年と以外に歴史が浅い。

 

1994年当時、改札入口には「終日禁煙」の表示が目立つ。1980年代まで駅のホームでタバコを吸うのは当たり前な光景で、ホーム前の線路は吸い殻だらけだった。公共の場での禁煙ムードが高まったのが1990年代。そして現在はわざわざ「禁煙」の表示をしなくても「駅構内は禁煙である」という前提が出来上がっている。

 

さて、この2枚の写真で地味ながら注目したい変化は、点字ブロック。1994年も2016年も点字ブロックがあるが、位置が変わったのは別として、その形状の違いを見てほしい。

 

1994年は点の集合、2016年のは立て筋4本並んだもの。日本JIS企画では、点の集合は「警告ブロック」、立て筋のブロックは「誘導ブロック」と決められている。2016年のは改札へ誘導するブロックであるとすぐわかるのだが、1994年は改札へ向かう道すべて「警告ブロック」になっている。なぜ??

 

実は点字ブロックのJIS企画ができたのは2001年のことで、それ以前は様々な形のブロックが存在していたようだ。つまり、1994年のそれは「警告」の意味は全くない。

 

まだまだ見どころがたくさんあるところだが今回はこの辺で。suisiが撮影した何気ない写真と現在の写真を比較するだけでこれだけ楽しむことができる。次回も岡山駅周辺今昔比較をお送りできればと思ってるところだ。

 

 

 

 

 

 

2016.06.06 Monday

杉並区方南町今昔比較2

杉並区方南町2丁目の今昔比較第2弾。

前回1枚目に紹介した写真を180度向きを変えたのがこの場所。(元記事 http://suishi.jugem.jp/?eid=101

【杉並区方南2丁目 上:1964年 下:2016年】
50年の月日で建物はほとんど入れ替わっているが、信号や電柱の位置に変化はない。1964年写真左手に地下鉄丸ノ内線方南町駅が見える。現在の出入り口も当時とほとんど変化がない。

それではもう1枚。

【上1978年 下2016年】
マクドナルドが印象的な写真。マクドナルド1号店が銀座に進出したのがこの写真が撮影される7年前の1971年。英語とカタカナ併用の看板が懐かしい。ツタのからまる凝ったファサードも現在には見られない仕様だ。

 
2016.05.30 Monday

杉並区方南町今昔比較1

先日、東京都杉並区方南町かいわいを歩き、公開してきた写真の今の姿を撮影してきた。

まずこの1枚(元記事 http://suishi.jugem.jp/?eid=98 )

【杉並区方南2丁目 上:1963年 下:2016年】
1963年はまだ道路が舗装されておらず、水たまりが目立つ。写真左側の道は方南通り東行き。1963年当時はなかった街路樹が大きく育っている。当時からの建物はほとんど残っていない。写真右端は現在マンションの建設工事中で、数年後にはまた違う景色になることだろう。


【杉並区方南2丁目 上:1963年 下:2016年】
最初の写真から右の道へ入ったところで、ゆるやかな下り坂になっている。写真右手のミヤモトというお米屋さんがあった場所は空き地に、最近まで営業していたらしい江戸屋という酒屋さんも別な事業所になっている。何より変わったのは1963年当時は緑がうっそうとしていた点。現在ではとても想像できない。2016年写真右奥の木造2階建ての民家、古そうなたたずまいであるが、1963年当時はまだ建築されていない。この写真で唯一変わらないのが電柱。写真右奥に見られる3本の電柱は当時のまま。真ん中の小さい電柱は傾きまで当時と同じ。コンクリートの電柱は耐用年数が長いようだ。

今回のラストはこれ。(元記事 http://suishi.jugem.jp/?eid=93


【杉並区方南2丁目 上:1964年 下:2016年】
今度は1枚目の写真から左方向、方南通りを進んでみた。家は建て替わり、街路樹は大きく育ち、歩道の敷石はアスファルト舗装に代わっている。1964年当時、歩道上で大きな存在感を示していた丹頂型の電話ボックス。2016年現在、形こそ変わり、控えめな雰囲気になったものの、未だ健在。年々電話ボックスが減少する中、よく生き残っているものだ。


50年ほど前の写真を見ながら現在と同じアングルを探すのはなかなか難しい作業なのであるが、今回の3枚は比較的当時の特徴が残っていたので忠実な今昔比較ができた。あと少し撮ったものがあるので次回の更新までしばしお待ちを!
2016.04.29 Friday

ここはどこなの方南町PART2

4月4日の記事(ここはどこなのか?―グーグルだけで古写真の現地を特定―)
で1960年代の方南町界隈の写真を紹介した。この写真は前回紹介したカラー写真と同じフィルムに撮影されたもの。

【1964年:杉並区方南町 方南通り】
この写真は現在地はどのあたりなのかを検証してみた。
まず一番目立つのは写真右にある明治チョコレートの看板のある建物。右に入る道が少し曲がっているのか、ファサードも道に沿った形の角度がついている。「岩田屋」というパン屋のようだ。50年以上前の個人商店、検索をかけても何も手がかりはつかめなかった。まぁ、それは想定の範囲内のこと。

次の手がかりは写真中央左に見える「地下鉄」の文字。営団丸の内線方南町駅の入口だ。方南町駅への出入り口は、環七通りと方南通りの2か所しかなく、この道は環七にしては狭すぎるので、方南通りの、現在で言えば2番の出入り口であることはほぼ間違いない。

ダメ押しとして、写真左下に、左ななめ方向に道が続いているように見える。

この3点より、現在地は こちら(グーグルストリートビューへのリンク) であることが特定できた。

4月4日の記事で紹介した「写真3」を逆方向に見たものである。

さて、1970年代の写真アルバムにこのような写真があった。

【1978年:方南通り】
1枚目の写真が撮影されて14年後の同地点。岩田屋であったところには現在も健在なマクドナルドが見られる。しかしそれ以外の店は38年経過した現在、何も残っていないようだ。

厳密な定点観測ではないが、同じポイントを10年以上あけて撮影しているところがsuishiのおもしろいところである。
2013.07.28 Sunday

上野駅

かつて、在京東北出身者にとって上野駅は特別な場所であったらしい。それぞれの夢を抱きながら長い汽車旅を終え、最初に降り立つのが上野駅。

suishi自身ほとんど暮らしたことはないが、旧伊達藩士の末裔である中塚家の本籍は宮城県仙台市である。(余談であるが、suishiの妹は、戦後初の公選市長と言われた元仙台市長岡崎栄松の息子に嫁いでいる。)

suishiに東北魂があったかどうかわからないが、上野駅はお気に入りだったらしく、写真が何枚か残されている。

今回は1982年に撮影されたものと、2013年2月に私が撮影したものを比較してみた。



【上野駅広小路口 上:1982年 下:2013年】
1982年、東北上越新幹線が開業した。上野駅広小路口には開業を祝う大きな看板を見ることができる。しかし開業当時の起点は大宮。上野大宮間には「新幹線リレー号」という特別電車が運行していた。

さて、駅舎の比較。2013年、リニューアルされた古い駅舎はすっきりした印象を受ける。中央左の巨大な水タンクや屋上の増築部分が撤去されている。ついでに水タンク下にある銅像もなくなっている。

それではもう1枚の比較。




【上野駅浅草口 上:1982年 下:2013年】

続いて浅草口の様子である。駅舎こそほぼ昔のままであるが、駅前道路の様子は一変。同アングルでの撮影しようとすると、肝心の駅舎が高架橋で隠れてしまう。

撮影の目印としたのが、写真左の京成デパート。1984年に閉店し、現在はマルイシティ上野となっている。


この写真を含む、2013年2月に行った上野界隈の撮影には@g_stand 氏に協力していただきました。


2013.07.08 Monday

中野・杉並かいわいのランドマークを撮る

suishiが1950年代後半から住んでいた、中野区の雑色住宅。1960年代まで4階あたりからの眺めは周囲に遮るものは何もなかった。そのような景色の中でひときわ目立っていたのが、以前のエントリーでも紹介している立正佼成会の大聖堂だ。

suishiは信者でもなんでもなかったが、この建物は気になっていたらしい。雑色住宅から500mほど北へ向かったところにあったこの建物、完成直後に撮影に出かけている。

【1965年4月】
広い敷地の中にそびえたつ神秘的な宗教施設である。

同地点を撮影から48年後に私も訪問した。

【2013年4月】
48年前、申し訳程度に見られたフェニックスをはじめとする木々は大きく成長し、道路は整備され、何より、写真左手に大きな和風建築が見える。(この建物は1978年に建てられた「法輪閣」というものらしい。)

かつて、中野・杉並かいわいのランドマークであった立正佼成会大聖堂、現在でもその存在感は変わらない。

2013.06.03 Monday

さようなら上野下アパート

最後の同潤会アパートとして残っていた上野下アパートが解体されているらしい。

このブログでもたびたび書いていたが、suishiは1944年頃、上野下アパートに住んでいた。suishiの父親が住宅営団(同潤会の事業を引き継いだ営団)に勤務しており、上野下アパートの管理人をしていた。suishiの父は終戦後間もなく亡くなり、そのタイミングで上野下アパートを退去している。

【1944年】(再掲)

suishiの1980年代のアルバムに、上野界隈を記録したものがあったので開いてみると、上野下アパートの写真が何枚かあった。撮影は1982年、suishi66歳。アパートを去ってから40年近く経過した「昔の住処」。

2013年初め、私は当時の写真を手に上野下アパートを訪れた。suishiが記録してから30年経った上野下アパート。


【上:1982年 下:2013年 上野下アパート東方向】
あまり変わらない風景。1982年左端に見える「南谷美容室」は移転したらしい。2013年左に見えるシュロ、1982年の時点では塀からちょこっと頭を出す程度の高さなのも興味深い。

30年経っても「自転車を置きたくなる場所」というのがあるらしい。


【上:1982年 下:2013年 上野下アパート正面】
アパート表札は取り換えられているし、1982年当時あったシュロは抜かれてしまっている。2013年の写真を見ると、やはり建物の劣化が目立つ。


【上:1982年 下:2013年 上野下アパート管理人室付近】
台東区の掲示板はリニューアルされているが同じ場所。地盤沈下が進んでいるのか、それとも舗装が手抜きなのか、1982年に比べて雑な印象。

それにしてもアロエの成長が著しい。同じ人がずっと育てていたのかな?

1944年-1982年-2013年、上野下アパートの記録。再開発されて新しい建物になった頃、また撮影しに行こうと思う。
2013.03.24 Sunday

「昔住んでいたところの今」を撮るのが好き


【1994年:東京都北区王子】


【1984年:東京都北区王子】

今から20年前と30年前の同地点を比較した写真。どちらにもある真ん中の黄色いビルは「ほりぶん」という地元スーパー。「掘文左衛門」という人が創業したから「ほりぶん」らしい。30年くらい前は掘さん一家総出でレジを打っていた。

東京も80年代と90年代ではたった10年だけど結構景色が変わっている気がするなぁ。

さて、この2枚の写真は撮影者が違う。下の1984年はsuishiが撮ったもの。そして上の1994年は、私が16歳のときに撮ったもの。suishiが撮った写真を整理しながら、私が高校生の頃に撮ったものを見ていたら10年間の間があるものの同じ場所を撮っていた。

私は1984年から1988年まで東京都北区王子に住んでいた。1984年の写真は、孫の住む街の日常を記録したもの。一方、東京を離れた私がなぜ1994年の写真をわざわざこのアングルで撮っていたのか?

どうも私は「昔住んでいたところの今」を写真に残すのが好きらしい。東京を離れて6年、何かの折で上京したときにふと、昔住んでいた街に立ち寄ったのだろう。しかし、1994年当時、suishiは77歳。まだ存命であったが、当時16歳の自分と写真の話などするはずもなく、このアングルで撮れたのは全くの偶然。

そういえば、suishiも同潤会上野下アパートや、東京都住宅供給公社雑色アパートといった「昔住んでいたところの今」シリーズの写真をたくさん残している。血は争えないものである。


2012.11.27 Tuesday

【今昔比較】わんわんカーニバル(1968-2012)

 
【1968年10月:国鉄渋谷駅前】

【2012年8月】
渋谷駅ハチ公前は今も昔も待ち合わせの定番。待ち人の手にケータイ握られていることをのぞけばそんなに風景は変わらない。

同じ角度で写真を撮ったつもりだが、後で調べると1968年と2012年とではハチ公の向きが違うそうだ。
1989年、JR渋谷駅前広場の拡張工事でハチ公像は移転。その際に、西武百貨店方面(北方面)を向いていたハチ公は、駅ハチ公口方面
(東方面)に変えられていた。

それにしても、1968年の「わんわんカーニバル」が気になる。ピンクの提灯が飾られ、ファッションショー、ワゴンセール、イラスト展など
催されているようだが、ハチ公前で待っている人たち、カーニバルという割にあまり楽しそうじゃない。純粋に待ってるだけ?

ハチ公像にかけられた花飾りも「やらされてる感」いっぱいでどこか冷めている。いかにも60年代らい浮かれたロゴが目立つ。

今でも渋谷駅からほど近い代々木公園でも「わんわんカーニバル」なるイベントが毎年開催されているが、全く別のもの。
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